sakenomitosanのブログ

父が亡くなって以降、いろいろと思うところがあり、人生初となるブログを始めました。これまでの人生を思い返したり、日々の出来事を綴ります。

現地の米国ラジオ放送(小学生後半)

1970年後半の米国はベトナム戦争を経て以降、世界のあちこちで影響力を行使していた。政治的にも文化的にも。


この頃、私達家族は父(当時38歳)の初めての○○共和国への海外赴任に一緒についていくことに…。


その国は米国の強い影響を受けており、例えば街中のホテルはHilton、シェラトン、車はシボレー、Buick、軍の戦闘機はフアントム、ヘリコプターはベル。日本人学校の英語の先生も金髪の米国人女性(おそらく)。


両親が音楽好きだったため、休みの日は家で1チャンネルだけあった米国人向けラジオ番組で当時の米国内のヒット曲が流れてくるのを聴くのが楽しみだった。


英語の意味も分からないまま気に入った曲をラジカセのカセットテープに録音したりして過ごす日々…。


やがて国内で政変が起き、危険が高まり日本人家族の帰国命令が出る。この時、父は仕事で残ることに。母、弟含む家族3人での帰国は本当に心細かった。混乱している空港で見送りに来た父と別れる時、とにかくつらい、悲しい、寂しい…4人とも眼が真っ赤だった。閉まるドアの向こうで手をふる父が次第に雑踏の中に霞んで見えなくなる。家族を守るんだと思った小学生の私。


当時ラジオから流れていたコモドアーズ「 Three Times A Lady(永遠の人に捧げる歌)」。今は、そのメンバーの1人だったライオネル・リッチーが歌う。


私の大好きな曲の1つ。


今もこの曲を聞くと、せつない。