sakenomitosanのブログ

父が亡くなって以降、いろいろと思うところがあり、人生初となるブログを始めました。これまでの人生を思い返したり、日々の出来事を綴ります。

今でも忘れない奇跡的な出来事

私が今でも忘れない、全て鮮明に憶えている出来事がある。


私が小学4年生の時、同じ社宅に住む友達のK君と自転車に乗って公園に行く途中、K君が私の目の前で自動車にはねられた。


良く晴れた日だった。彼が先に走り、私がその後に続く。自転車の両手手放し運転がより長く出来る奴がヒーローの昭和時代。


彼は両手を左右に広げて、やじろべえのようにバランスをとりながら、片側一車線の一般道路に飛び出した。こっちが車なら一時停止しなければならないようなところだ。


そして右側から坂道を下ってきた普通自動車にはねられた。もの凄い急ブレーキ音とガシャーン!という車が自転車にぶつかった音。


彼の自転車は吹っ飛んだが、彼はスローモーションのように体がフワッと真上に上がり、そのままストンと道路に落ちた。イメージはダルマ落としの感じである。


すぐに停車した車(普通自動車)から20歳代の若いカップルが慌てて血相を変えて降りてきた。運転していたのは男性、女性は泣きそうな顔だった。


そして驚くことに、K君はぶつかった車や、道路に落ちた際にも頭を打たず、なんと体のどこにも怪我をしなかった。せいぜいかすり傷程度だったと思う。大破したのは彼の自転車(ママチャリだった)だけだった。


これがもし車でなくバスやトラックだったら、絶対に彼は助かっていなかった。また、両手でハンドルをしっかり握っていたら、彼も真上にではなく、左側に吹っ飛んだはずだ。


全く彼は元気でそのもので、カップルに普通に受け答えし、結局、警察も救急車も来なかった。私達はその日はそのまま家に帰り、茶の間にいた私の母とK君のお母さんにそのことを報告した。K君のお母さんの見たこともない驚いた表情を憶えている。


その日は事故直後から彼の体調が急変しないか心配だったがそんな気配もなく、翌日からまた草野球やドロケー(泥棒と警察)をして一緒に遊んだ。野球が上手くて、走るのも速く、スポーツ万能の彼に私はかなわなかったな。


確かその後、彼の一家はお父さんの転勤でヨーロッパへ。私の一家は中東へ。


小学生の数年間を一緒に過ごした際の出来事。

なんだか遠い昔の話。

今も元気でやってるかな。