今も昔も、最後は家族を守るため
通勤の時、駅前で「戦争反対」「憲法改正反対」
と訴えながら、ビラを配っている人達に出会う。
その「戦争反対」なのだが、何があっても
戦争反対なのかと自分に問うてみる。
現代において、
日本が自ら戦争を仕掛けることはあり得ない。
少なくとも今の若者はそんな命令には従わない。
でも他国が日本に侵略してきたらどうするのか?
話し合いで物事は収まるのか。
止めてくれ!と言って相手は止めてくれるのか?
母とそれで議論になったことがある。
「何があっても戦ってはいけない、悲惨だ!」
と言う母と真っ向に対立した。
勿論、戦争にならないようにするのが最優先。
例えば、相手を追い詰めても戦争になる。
学校や職場でも誰かをいじめていたら、
いずれどこかで反撃に遭う。
国同士もそうだろう。
昔、帝国主義が世界にまん延していた時代の覇権争いに日本が加わった際、その正義はどこにあったのか。大東亜戦争は起こるべくして起きたと言われるが、仕方なかったのか。そもそも中国大陸を日本が侵略した正義は何だ?そういう点では、戦争には反対だ。
だが、最終的に相手が侵略してきたら
戦うしかない。両手を上げて戦わずして降参し、その侵略者の軍門に下る屈辱は考えただけでも
恐しい。
…と、当時の日本人のみならず中国人、アメリカ人もそう思っただろう。結局、攻める側は理由を正当化して、最終的にはどこの国も自分の家族を守るために戦う…となる。
大切なのは、戦争に繋がる道筋を作らないよう、
国民が政治をしっかり監視することか。
そうなると、
やはりTVや新聞だけが情報源ではダメだ。